知恵之輪士のSKiを読む!


【第5回】「[鈴之助]の世界」

 みなさんは、SKiの楽曲の中では、どの曲が好きでしょうか? 人それぞれ、好みが分かれるとは思いますが、「SKiらしい、SKiの曲」、特に“SKiクラシカル”とも呼べる初期の曲、『制服宣言』『ともだち』『恋のインビテーション』『青春ラプソディー』などは、結構好きな方は多いと思います。
 これら初期の楽曲の多くは、作詞/鈴之助・作曲/羽毛田丈史のコンビによって手掛けられたもので、この二人を抜きにしてSKiを語ることは出来ません。という訳で、今回はSKiソングの作詞を多く手がけている作詞家[鈴之助]師匠の“詞の世界”を覗いてみることにしましょう。

 鈴之助師匠の詞には、“特徴的な4つのポイント”がある。ひとつづつ順に挙げていこう。

(1)【当事者の目線に立って、書かれている】

 SKiは、よく「学校を模している」と言われるが、その割には教師が居ない。確か、おニャン子クラブの曲には「先生」が出てくる(ファンでは無かったので、うろ憶え)が、SKiにはそれが無い。出て来ても、せいぜい[ゆかッパチ先生]ぐらいだ。
 鈴之助師匠の詞も、その当事者(この場合、メンバーもしくは生徒)の目線で書かれたものがほとんどである。ユニット集〈大人はわかってくれない〉のタイトル曲にもなっている、『大人はわかってくれない』の一フレーズ、「♪ すぐにプンプンせずに 見つめてほしい/私たちの世界を」を見れば、説明の必要は無いだろう。

(2)【強制力の無い詞】

 先生と生徒の関係なら、「もっと勉強しなさい」とか、「ちゃんと掃除しなさい」という風に命令することが出来るが、鈴之助師匠の詞は(先生と生徒が)対等の立場で書かれているので、何かをしなさいという歌詞は出て来ない。
 本人の自発的意見として、『制服宣言』の「悪いことなどしない」などが見られるが、実はそういった詞も意外と少なく、そのほとんどは、『渚に消えた初恋』の「♪ 信じあえる 事の大切さ 失くして/海に沈む陽を見てた/月明かりが 頬に涙落として 照らす/渚に消えた 初恋」のように、心理描写・情景描写をしているだけのものが多い。
 鈴之助師匠以外の作詞家では、アオキ海彦氏の『恋をしようよ』や、KAO氏の『少年よ大志を抱け』のように、明確に 言い切っているケースが多い。それに対し、鈴之助師匠の曲の中でも特にメッセージ性の高い『終章 =エピローグ=』でも、「♪ 最後の時が来た 別れはつらいけど/また逢うその日まで みんなにサヨナラ」と、具体的に何をすれば良いかの指示はなされていない。何を感じ、どう思うかは、すべて“聞き手”である私たちに委ねられているのである。

(3)【明るい内容】

 先程の『終章 =エピローグ=』や『渚に消えた初恋』などは、「別れ」をテーマとした曲であるにもかかわらず、「暗さ」というものはほとんど感じられない。多分、“アイドルの曲だから…”というのは誰にでも想像できる。
 実際、[Yuck'er-Lee]の『ティッシャー』『冷たいハートで』『さえない男の物語』など、なかなかシビアな曲も書いて いて、かの「♪ 私が売れたら アンタをクビにする!」と凶暴(?)な歌詞の『シンガー』も、鈴之助師匠の作詞なのだ。
 だが、そんなシビアな曲であっても、どこかに「前向きさ」を感じられるのも、「鈴之助の世界」の特徴とも言えよう。

(4)【詩的メッセージ】

 「♪ 私は とっても 犬が大好きでして/私と 散歩を する楽しみなんです/私よ みんなも 誰が私かでして/私も 前から 一度見つけたいんです」 (『鳩よ! 者へ苦さを』より)
 犬が好きなのは、分かった。散歩が好きなのも、分かった。だか、その後はどうなんだ???
 「♪ 女の子って 泣いたりして 何か弱く見えるけど/絶対って 言ってみても 面白がって 意地悪して」 (『16才』より)
 なんとなく言いたいことは分かるが、細かい意味を理解しようとして歌詞カードを見ると、文法的にはメチャクチャで、主語述語がハッキリせず、結構意味不明であることが多い。

 ここで少し、大脳生理学的な見地から話をしてみたい。
 脳の中で、「言葉」について扱っている場所は、主に2ヶ所あり、ひとつは脳の左側にある「ブローカー領域」で、意味の通る文章を話すときに使われる。もうひとつが右脳にある「ウェルニケ領域」で、こちらは話の内容を理解するときなどに使用される。一般に、左脳は科学や数学など「論理的思考」を行ない、右脳は絵画や音楽など「芸術的事柄」を扱っていると言われ、それぞれ「論理的言語野」,「詩的言語野」と言われることもある。
 当然、“歌”である鈴之助師匠の詞は、主に「詩的言語野」のほうが活発に働いていそうなのは、容易に想像できる(脳波計で計ったことは無いが…)。特に鈴之助師匠は、「こうすべきだ」なんて言い切ることは少ない。理屈っぽい左脳より、感受性の高い右脳に強く訴えるほうが多いから、それを捕まえて文法的間違いを指摘するのも、マヌケだろう。

 もうひとつ右脳と左脳の違いを挙げると、左脳はいま私が言ったように、(1)何々,(2)何々… と「ひとつの事柄を細かく分けて分析していく」のに対し、右脳は図形と色を組み合わせて“絵”として見たり、ギターやドラムの音をひとつの“音楽”として聴いたりと、「別々の存在をひとつにまとめる」働きがある。
 例えば、「菊地彩子は背が高い、斉藤美緒子は歌がうまい…」と分析するのが左脳。でも、これをメンバー全員に繰り返しても、それはSKiを説明したことにはならない。 そこで、一人一人のメンバーが集まったとき、「全体として、SKiは どんなグループか」と捉えようとするのが右脳なのです。

 鈴之助師匠の詞は、SKiという“グループ”のイメージに合わせて書かれたものですが、逆に、詞がSKiメンバーに 与えた影響も大きいのではなかろうか。同じ曲を歌い 同じ曲を踊る、それがSKiに協調性を与えていることは確かだろう。
 そして、同じ曲を聴いて声援を送る、私たち観客にも、密かに影響を与えているのではないでしょうか…。

鈴之助師匠の隠れファン[群馬県/知恵之輪士]


97年1月号目次