知恵之輪士のSKiを読む!


 【第拾話】“アモール”の時代

 前回に引き続き、井出百合子(もと:望月菜々)もハマっているという、アニメ〈新世紀エヴァンゲリオン〉の読解をお送りします。

 彼女もこれについては「人間関係とかが複雑で難しい…」と言っているが、確かに入り組んでいて複雑な内容の物語だ。
 私の兄も「テレビシリーズを見て、映画を見て、もう一度テレビの再放送を見て、やっと何となく分かった」と言うぐらいだから。
 しかし、この作品はキリスト教の神話を題材にしているだけに、神話的モチーフが随所にちりばめられている。
 特に【人類補完計画】を巡るストーリーは、世界中の神話によく見受けられる。
 ギリシャ神話のセレーネと、セイレーンの神話を例にあげて説明しよう。

 前者は、月の女神・セレーネが人間の王子・エンディミオンに恋をする物語である。
 ある日、セレーネが人間界の様子をのぞいていると、エンディミオンと言う名の美しい王子を見付けた。セレーネはこの美男子をたいそう気に入り毎日のように眺めていたが、ある時彼が少しづつ歳を取っていることに気付いた。「このままでは、いずれヨボヨボのお爺さんになってしまう…」と考えた彼女は、神々の中でもいちばん力の強いゼウスに「エンディミオンを、神のように不死身にしてください」と頼み込んだが、「そんなことはできん!」と断られた。
 しかし「エンディミオンの時間を止めて永遠に眠らせてしまえば、二度と目を覚まさない代わりに歳を取ることもない」と教えてもらい、それを実行してしまった。こうしてセレーネは、美しく眠る彼のそばでずっとその寝顔を眺めているのだという。

 これは女神の立場から美しく描かれているが、鳥の翼を持つ女性・セイレーンの神話は全く逆の立場から描かれている。
 海の岩場などに住む彼女は、とても美しい声で歌を歌う。それに魅了された船乗りは、彼女に近付こうとして岩に乗り上げ難破してしまい、揚げ句の果てには彼女に捕らわれ食い殺されてしまった…。
 二つの話は結末こそ大きく異なるものの、大まかな話の流れは同じである。このたぐいで日本人にいちばんなじみ深いのが〈浦島太郎〉だろう。ここでは乙姫さまはとても好意的に描かれているが、竜宮城という異世界は一度足を踏み入れてしまうと二度と戻っては来れない恐ろしい場所なのである。更に雪女とか山姥(やばんば)の伝説になると、セイレーンと同じように“恐ろしい魔物”として表現されている。

 こういった神話に登場する異世界の女神や魔物とは、一体何を表しているのだろうか?
 それは発達心理学において、母親は子供の成長を促すと同時に子供の自立の妨げになるという、矛盾した二つの側面の暗示に他ならない。母親とは、まだ小さな子供にとっては“保護者”であるが、ある程度大きくなると今度は“自由を奪う存在”となるのである。
 エヴァのストーリーでは、このような【神話的女性原理】はリリスに当てはめられている。リリスというのはアダムの前世の妻の名で、明らかに正統派キリスト教の神話と矛盾する存在は、正統派では悪魔の一人とされている。しかし、更に古い起源をたどれば全ての生命の生みの親であり、死んだあと土となって還るべき「大地母神」の一人であった。
 ここでは後者の「大地母神」を指し、ユング心理学でいうところの“グレート・マザー”の象徴ともいえよう。

 ゼーレは、人類補完計画によって人類をリリスの黒い卵に戻そうと考える。
{母親への回帰}
 一方、これに協力するふりをして計画を阻止しようとたくらんでいるのはシンジの父・碇(いかり)ゲンドウである。
{自我意識の象徴的存在}
 作品の全編を通じて、心理学的なグレート・マザーのイメージに対する憧れと、それに飲み込まれそうになる恐怖とが、14歳という大人の入り口に立った少年・シンジの目を通して描かれている。

 ストーリーは、母を亡くし親戚の手で育てられたシンジが父に呼ばれ、理由も分からぬまま上京するところから始まる。
 父が自分を呼びつけた理由がエヴァンゲリオンに乗せて戦わせるためだと知り、「自分は愛されていない存在なんだ」と思い家を出る。
{責任の回避・自己放棄、そして無意識への逃亡}
 この時点では、シンジは自立しない子供である。これがテレビシリーズの最終話〔世界の中心でアイを叫んだ獣〕のラストでは、「ボクはここにいてもいいんだ!」と叫んでいる。これは注目すべき点だ。
 他の登場人物は、皆自分の存在を他に依存している。綾波レイの場合は“絆”、アスカの場合は“プライド”であり、そのプライドが打ち砕かれたときに、彼女は自分を見失ってしまう。しかし、シンジが物語の最後で出した答えは、自分を他の何者でもなく自分自身で必要としている「自我の目覚め」である。その時、大人たちから「おめでとう」の祝福と、「母親にさようなら・父親にありがとう・そして、全てのチルドレンに幸福を…」のメッセージが示される。
 この自己の発見とは、神話の英雄の冒険の重要なテーマであり、中世ヨーロッパで語られた〈アーサー王と円卓の騎士の物語〉の中心的テーマでもある。
 アーサー王の物語は、6世紀頃イギリスに実在したと思われる人物をモデルにしているが、それにケルト民族の妖精伝承が加わり、更にそれが物語として成立した12世紀フランス的な騎士道精神のアレンジを受けている。物語は主に騎士たちの冒険とその恋愛であり、彼らは魔法の世界を冒険して戻ってくるのである。そうした冒険によって彼らが手に入れるものは主に二つある。一つは“名誉”、もう一つは“自分自身”である。

 最も分かりやすい例では、〈見知らぬ美男子〉の話などどうだろう。
 ここでの主人公は、円卓の騎士の一人であるガウィンと妖精の間に生まれた子・グイングラインである。彼は父親の顔を知らず、母親一人の手で「美しい息子」と呼ばれて育てられたので、自分の本当の名前すら知らなかった。
 彼はある日、アーサー王の宮殿に赴き「自分を騎士にしてほしい」と申し出ると、王はそれを聞き入れ、望みどおり騎士になることができた。しかし、この新米の騎士は親の名はおろか自分の名前も知らないので、仲間たちは彼のことを「見知らぬ美少年」と呼ぶことにした。
 ちょうどその時、一人の少女が現れた。少女いわく「自分の主人である王女さまが、魔法で龍に姿を変えられてしまった。その魔法を解くには“勇敢な騎士”が王女にキスをしなければならない。自分はその騎士を探しに来たのだ」と。
 それを聞いた見知らぬ騎士はすかさず名乗りを挙げるが、たった今騎士になったばかりの新米だけでは頼りない。「他にいないのか!」と周りの者に尋ねるが、誰一人として応じなかったので渋々彼に頼むことにした。

 旅の途中、〔黄金の島〕という女の妖精の住む島に立ち寄った二人は、妖精たちから大歓迎を受ける。見知らぬ美男子はすっかりこの島が気に入ってしまったが、少女が「約束はどうなる?」と言い出したので、翌日二人は島を抜け出した。
{神話的女性原理の誘惑と、意志による誘惑からの脱出}
 そして王女が捕らえられているという〔荒れ果てた町〕の手前までやってきた。二人は近くの城に泊めてもらえることになったが、城主に「町の人々は君たちを親切に歓迎してくれるだろうが、たとえあいさつされても逆に相手を罵(ののし)ってやらなければいけない」と言われた。
 翌朝、荒れ果てた町に入った見知らぬ美男子は「ようこそ」と歓迎されるも、城主に教わったとおりに罵り返した。
{再び魔法の誘惑と、意志による抵抗}
 すると、そこに黒い騎士が現れ、見知らぬ騎士に襲いかかった。これを打ち負かすと、黒い騎士は鎧(よろい)だけを残して崩れ落ち、町の人々は消えてしまった。
 今度は、巨大な龍が火の息を吐きながら近付いてきた。龍は見知らぬ騎士に突然キスをしてきたので、彼は失神しそうになった。だが、この龍こそが姿を変えられた王女だったのだ。
 無意識のうちに無事任務を果たした見知らぬ美男子は、安心して今度こそ本当に気を失ってしまうが、その時どこからか不思議な声が聞こえ、彼の本当の名はグイングラインであることを告げる。
 自分の意思によって目的を達成したときに、見知らぬ美男子は自分の名前を知ったのだ。

 テレビシリーズ第十九話〔男の戦い〕では、二度とエヴァンゲリオンには乗らないと決めたシンジに、加持リュウジはスイカに水をやりながらこう言った。「シンジ君、俺はここで水をまくことしかできない。だが、君には君にしかできない、君にならできることがきっとあるはずだ。誰も強要はしない、自分で考え自分で決めろ。今、何をすべきかを…。」
 再びエヴァンゲリオンに乗る決意をして戻ってきたシンジに、父・ゲンドウは「なぜ、ここにいる?」と冷たくあしらうが、自分の意思で戻ってきたシンジは「僕はエヴァンゲリオン初号機のパイロット・碇シンジです!」と象徴的に答えた。
 「我、欲する」という自我に目覚めた時に、自分は自分を意識する。そして騎士たちはそれを求めて冒険するのである。
 やがて、騎士たちの冒険の時代に入ると恋愛の形にも大きな変化が生じ、【アモール】という新しい愛の形が生まれる。そのアーサー王ロマンスの中でも代表格といえるのが〈トリスタンとイゾルデの物語〉だろう。
 伯父のマーク王の花嫁を捜し出す使命を与えられたトリスタンは、イゾルデという美しい女性を王の花嫁として連れて帰る。その時、新婦の母親は自分の娘が一度も会ったことのないマーク王とうまくいくように“惚れ薬”を造り二人に飲ませようとしたのだが、事もあろうにワインだと勘違いして船の中でイゾルデと一緒に飲んでしまい、恋に陥る。
 それを知った母親は青ざめた。「あぁ、恐ろしい。自分の主人の花嫁と恋仲になるだなんて、罪深いことをしてしまったのでしょう…。トリスタン、あなたが飲んだのは“毒薬”よ。身を滅ぼす毒薬を飲んでしまったのよ」。
 「毒薬だって?そんなバカな! この素晴らしい恋が毒であるはずがない。もしこの恋が毒で、その先が破滅であったとしても私はそれで構わない。この恋を知らぬまま一生を終えてしまうくらいなら、私は“情熱と破滅”の方を選ぶ!」
 これが【アモール】である。

 英単語の「LOVE」にはいろんな意味が含まれているが、一つ目は“エロス”であり、本格的な“性衝動”である。
 まるで熱病にかかったかのように、魔法に操られるかのように心を奪われてしまう。
 二つ目は“アガペー”。神や仏の慈(いつく)しみであり、優しさや思いやりといった人類愛である。
 三つ目が“アモール”。それは「I Love You(私はあなたを愛している)」、トリスタンとイゾルデの恋である。
 もしもトリスタンのように、たとえ破滅しても構わないというほどの強烈な愛であれば人生に恐れるものなどない。人生は喜びである。
 そしてその少し後の時代にヨーロッパ各地で革命が起こり、民主主義の国々が誕生することになる。

望月菜々  SKiは、そうした欧米の音楽から多大な影響を受けているようだ。
 欧米の音楽業界では「メッセージ性や音楽性」が重視されるのに対して、日本では「カラオケでヒットする曲こそが、良い曲」とされている。そんな「大手のレコード会社では、メッセージ性の強い曲はなかなか作らせてくれない」として、1995年10月に[アイドル・ジャパン・レコード株式会社]が設立されたのは記憶に新しいところだ。
 一期生の望月菜々=写真= も、そんなSKiの中で多くのことを学んでいった。入会当時の彼女は演技の方が好きで、歌(うこと)はそれほど好きではなかったそうだ。「活動を続けていくうちに“歌の魅力”に気付いた」と言うが、やはり「演技(の方)をしたい」という気持ちに変わりはなかったという。
 「このままSKiを続けていこうと思っている自分よりも、これをステップに少し後戻りしてでもいいから、ちゃんと前へ進んでいこうと思っているときの自分の方が、パワーを感じて好きになれるのです。」と…。
 卒業後は別の事務所に移り、井出百合子の名前で活躍を続ける彼女だが、その彼女が、なぜエヴァンゲリオンにハマっているのか?
 多分、物語の中で自分自身を見付けられずに苦悩するシンジの姿に、井出本人の人生と重なるところを感じたのだろうと私は思う。

[文:群馬県/戸田 聡 (知恵之輪士)]

[カメラ:論説委員■夢野 雫]

【次回予告】
 SKiと新世紀エヴァンゲリオン、そしてアーサー王の物語に共通する“自己発見のテーマ”。
 しかし、比較神話学からの展望は、さらなる共通点を提示する。
 次回、知恵之輪士のSKiを読む!・第拾壱話“聖杯の探求”。ご期待ください!
                           {↑まだ続くんか!(笑)}

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