トップ目次
編集後記 ☆ From Editors ☆



☆諸般の事情により借りている駐車場を変わる事になった。今までは、JRが管理している駐車場(何と1台1.000円)を借りていたのだが、今度の所は1台13.000円(泣)。しかも3ナンバー車はダメとのことなので泣く泣くコルサだけ京都に置く事になった。(もう1台は実家に)これからアイドル関連だけじゃなくますます活躍しそうだ。
☆えりりんのお別れ会が終わってから私がした行動。自分の車の中から見える高層ビルを眺めながら「えりりん今頃何してるんだろう・・」と考えていた。それからしばらくはヘコんでいたけど、某メンバー達のおかげで今後もSKiのコンサート、イベント通いは続きそうだ。
☆先日FCイベントのお花見に参加したが、京都の自宅帰って車のトランクを開けるとカメラがない(泣)。カメラよりかフィルム(メンバーはもちろんのこと仕事関係で撮ったものも)が大事だった。だってメンバーや仕事関係者に申し訳なくて・・・
 次の日、コミティへ電話したら預かってくれていたようで無事私の手元に戻ってきたのでした。ありがとうございます>コミティ
☆以前はムースポッキーをよく食べていたのだが、最近ハマっているものは森永のキャラメルアイスモナカである。これも諸般の事情で、食べるようになったのだがこれが結構美味しい。私の場合は近所のコンビニで買うのだが最近売っているコンビニが少なくなってきたような気がする。4月のキャンペーン、お花見へ行く道中、岐阜県のコンビニで買おうと思ったのだが売っていなくて「品揃えの悪い店・・」と思いそのコンビニを後にした。
【副編集長■竹ちゃん】



☆ツァーの受付前、しばらく時間があったので、平野バス停の近くをぶらぶらと散策していると、「寿徳寺」という寺に行き当たった。この境内に、日本人初の国際的オペラ歌手、三浦環(みうら たまき 1884〜1946)の墓があった。日本における本格的なオペラ上演に尽力し、後にヨーロッパやアメリカで活躍。長崎を舞台にしたオペラ「蝶々夫人」の主役は彼女の当たり役で、公演回数は二千回に達した。晩年はここ山中湖畔の平野集落に住み、この地で62歳の生涯を閉じた。SKiも、『ドン・ジョヴァンニ』や『アイーダ』のような、オペラを題材にしたミュージカルを演じる際は、こうした先人の活躍に思いを馳せてみるのもいいのではないか。
☆同じ寿徳寺の境内に、戦没者墓地があった。第二次世界大戦の時、平野集落から出征して戦死した兵士達の墓だ。多くの人は自ら志願したのではなく、国が発行した召集令状、つまり「赤紙」によって強制的に戦争に駆り出され、尊い命を奪われた。同じような墓石が整然と並ぶ様は、彼らが死後もなお行軍を続けているようで、見ていて胸がしめつけられる思いがした。「終戦」という名の敗戦から56年目の今年、またしても「歴史教科書」「靖国神社」という戦争の亡霊が姿を現した。こういうことが続く限り、日本の戦後はいつまでたっても終わらないのではないか。
☆話は変わるが、3年前「第6回真夏の祭典」の会場になった「カンダパンセホール」(東京都千代田区西神田)が、今年6月をもって閉鎖されることになった。ここでは、1993年10月にもSKiのコンサートが行われた。この時、九州から出張帰りだった私は、羽田空港からモノレールとJRを乗り継いで水道橋駅まで行き、ホールまで息を切らせて駆け付けたものだった。関係者の話によると、経営が成り立たなくなったので、ビルごと売却されることになったのだそうだ。また、ここからそう遠くないところにあった「日仏会館ホール」(千代田区神田駿河台)は寿隊発祥の地だったが、今その場所は大手ゼネコンのビルになっている。SKiの歴史を刻んだ場所がなくなってしまうのは、ファンとしてなんとなく寂しいものだ。
【編集委員■本間寛】



 ▼ふと、十年ほど前にミニコミ作成をしていたことを思い出した。大学時代のクラシック音楽研究サークルOBを中心に有志が参加。ところが、肝心の編集長は文章を書くのが嫌い、しかも飽きっぽい性格のため一号のみで終わってしまった。▼最初ということで各人の自己紹介っぽい内容なのだが、当時の自分の好みが分かって面白い。愛聴盤紹介を見ると、今でもよく聴くものは2枚しかない。本当に大きく変わっているのだ。ちなみに、シューベルトの“即興曲集”と、ヴォーン・ウィリアムズ“交響曲第5番”。▼その頃、アイドルに関してはテレビなどで十分という書斎派だったのだが、しばらくして現場アクティブになってしまった。やがて“SKiバブル”が到来する(^^;。2年ほどで崩壊するも、楽しさと引き換えに失ったものも多い。銀行の不良債権処理のようにはいかない。
▼ところで、アイドルミニコミに拙文が載ったのは、正確にはKS3が最初ではなかった。1994年・CoCo解散の時、『You're my treasure』の音楽データに添える文を有志で書いたことがあった。「MIDIデータ付きミニコミ」などと言っていたっけ(笑)。あの頃の“熱さ”があってこそできたのだと思っている。文章には、その時々の気持ちが刻印のように刻まれているのだ。▼翌年、SKiのコンサートにてネットで知り合った人と初対面。驚いたことに、その人は優れたCoCoミニコミのライターであった。すなわち、私は一読者なわけだが、逆に上記MIDIデータの付録を読まれていて二度驚き。恥ずかしかった思い出のひとコマ(^^;。
【編集委員■ゆめのしずく】



 “冬眠”から覚め、1年半ぶりに帰ってきました!時の流れ(c)は早いもの。SKiメンバーもすっかり入れ替わり、三期生の橋本美香ちゃん以外は直接(FCイベント等で)の面識がなくなっていた。「新人ファンのつもりでやり直せば?」と編集部員に励まされるも自信が…。皆さん、後押しよろぴく!「暇だぁ〜!」仕事が無いので金が無い。暇はあるけどやる気が無い。2月から何もしないでいると気が滅入ってばかりで、たれぱんだならぬ「たれしろくま」状態。借金が無くなったのが唯一の救いか?マイブーム→NHKの朝ドラを見ること。前作《オードリー》《私の青空》も良かったが、いま放送中の《ちゅらさん》はもっといい!前の職場で沖縄出身の同僚がいたせいか、ヒロインのえりぃ(国仲涼子)の笑顔に毎朝釘付け。共演者も個性派揃いだが、存在感があるおばぁ(平良<たいら>とみ)の演技(?)は痛快! 電話が鳴るのを予知したり、商店街の福引きで1等の東京旅行を引き当てたりと、スゴイ神通力の持ち主だこの号が出る頃には、幼なじみの文也くんと結婚してるはずのえりぃ。回り道でつかんだ「幸福」を大切にしてね。(う、うらやましぃ〜)震災後から持っているツーカーの携帯電話も丸6年。「クルクル・ピッピ」のソニー製に続く4代目のMy端末は三菱電機製TD11に。12種類のキャラクターが楽しめる「アニメっちゃ(Tu-Ka,J-PHONEの三菱製端末にのみ装備)」で私が選んだのは、くまのぷぅ太。体の色も変え「しろくま」にしてみると結構かわいいが、キャラ付きメールを送る相手がいない…で、そこの彼女!「メル友」にならへん? (爆)
【編集顧問■しろくま☆しゃしょう】



★『モー娘。』によってアイドルが復活したのはいいが、果たしてその後に、「アイドル」として続く者たちが果たしているのであろうか。私は最近のハロプロを見るたびにそう思う。 ★それにしても今年になってからのライブ・アイドル界の崩壊具合は一体どうしたものか。水野あおいが去ってから衰退する一方だったアルテミス。そのていたらくぶりにファンが次々去ってしまっている。そう考えると、シビアに「ビジネス」としてSKiをこれまで運営してきた高橋氏。このあたりは良くも悪くもさすがだとは思う。だからといって・・・。 ★『招き猫の写真館』の原稿を書くため、資料として99年3月号のP会報を久しぶりに読んでみる。「くろーずあっぷ」が小田さおり。その他「ベトナムに行ってきます」「花の高一コンビ・寄合/遠藤編集部配属」なんて文字が並ぶ。ほんの二年くらい前なのに、ずいぶんと昔のような気がする。身には直接感じられなくても、“時間の流れ”というものは厳然としてあるものだなあと実感。 ★あゆみん、バイト頑張ってね。後、当然受験勉強も(笑)。
【編集長■ブルーウェイブ】



こちら新宿3丁目 2001年夏号(通巻34号)

 初版発行 2001/ 8/26  インターネット掲載 2002/ 2/22

 編集長・編集発行人◇ブルーウェイブ
 副編集長     ◇竹ちゃん
 編集委員     ◇本間寛/ゆめのしずく/ホーカー・テンペスト
 ライター     ◇新聞屋/やまのむぎふみ/杉浦嘉信/
           髪型向上委員会/2号改め1号/知恵乃輪士
 編集顧問     ◇しろくま☆しゃしょう

 表紙写真撮影/ゆめのしずく

KS3トップページ2001年夏号目次

Copyright (c) 2001-2002 Kochira Shinjuku 3-chome