Kansai発・SKi応援マガジン

こちら新宿3丁目
Kochira Shinjuku 3-chome since November,1995

田村千秋

緊急発刊
star.gif 行かないで ちぁき!! [特集号]


  号 外
いつまでも、キミを「I,してる」 





とにかく悲しい(;_;) 昔は、あくまで“SKiのちぁきちゃん”であった。それが、団体アイドルだと思っていた。しかし、気が付くと“ちぁきがいるのがSKi”という風に主客転倒したのであった。それが辞めてしまった。事情があるのだろう。別に『理由なき反抗』で辞めるわけではないだろう。どんな理由があるか本当に解らないが、話をいろいろ総合すると、ちぁきのほうが辞めると言ったとしたら、私はそれを止めることはできない。やめさせた原因については、どんなことであれ納得いかないが、辞める行為はちぁきが決断したことである。確かに、残って 寿隊で歌ったり、SKi-Pで踊ってもらいたい。けれでも好きな子が決めたことを反対することは出来ない。そうなれば、ただ「ありがとう」と言うしかないのかもしれない。

 田村千秋を知ってしまった後悔もある。知らなければ、こんな悲しい気持ちにならないでも済んだ。だからといって、知らなければ良かったとは思ってない。やはり、千秋と出会えて良かった。こんな楽しいひとときが過ごせたのだから…。5月4日に、ずっとちぁきを見つめていたが、SOSは出していたのだろうか。何もわからない。ただ、あの日、ちぁきが歌っていた姿が目に焼きついている。
 「♪ 頼むから あと一年 残って欲しい」(『さくらうた』より)
 元気よく、いつものように、 口を大きくあけて歌っていた。楽しそうに見えた。見ているほうも楽しかった。どんな気持ちで歌っていたんだろう。そう考えると胸がつまる。
 5月6日の大宮は、行っておくべきだったかもしれないし、行かなくて正解だったかもしれない。しかし、11日に出られるかどうか解らないのなら、どんなに辛くたって、大宮に行っておけばよかったと思う。
 田村千秋はアイドルだし、PTAもアイドル事務所である。お客さんに夢を売る商売なのだから、せめて最後、最後くらい千秋を出して欲しい。それがプロ意識というものではないだろうか…。

 確かに、生きているのだから、また見れる日が来るかもしれない。ただ、『理由なき反抗』や『I,してる』『ペンギンSOS』とかは2度と見れないだろう。ものすごく悲しいが、それはそれであきらめる。もし、ちぁきが何らかの形で見ていけるのであれば、の話だが…。

[東京都/とっこう]



 2月に 5人が卒業したことは、今後の制服向上委員会に、大きな影響を与えるだろう。最悪の場合、現メンバーが次々と辞めていくパターンをたどるのかもしれない…。勝手だけど、そんなふうに思っていました。しかし、こうも早く、これからのSKiの担い手の千秋ちゃんが辞めるとは、予想もしていませんでした。彼女に対しては、安心しきっていたんです。それだけに、今回の第一報が入った時、「なにそれ?」が最初の言葉でした。で、私が一番気になるのが、今後のSKi-Pの行方なんです。アイドル・オン・ステージで歌っていたあの笑顔に、コンサート会場で会えることを心待ちにしていただけあって、そのショックはかなり大きいです。仮に、SKi-Pというユニットが存在し続けるとしても、しばらくは他の 4人のメンバーに笑顔が戻ってくることは難しいのではないか。いや、SKi 全体にも、 何等かの影を落すことになったのではないかと思うと、益々気落ちしてしまいます。悲しいことに、それは数日後 実際に、野音で形となって現れるんでしょうから…。

 コンサートの内容も、今回の千秋ちゃんの一件も、文字でしか知ることの出来ない私にとって、書けることはこれが限界だと思っています。今もって頭の中が混乱していて、冷静に分析出来ません。まだまだ情報不足とも言えるような気がします。先にも書いたけど、野音で、SKi-Pが 千秋ちゃんが、どう出てくるか。SKiにとっても、私たちにとっても、いろいろな意味で 今後を左右する瞬間に違いはないと思います。

[熊本県/かわむ {西日本なみちょん隊・隊長}]



 5月6日、田村千秋 脱退表明…。涙の意味がわかったとき、時は既に遅かった。
 あたしが田村千秋を認識したのは、吉成先輩,望月菜々に続いて3人目だった。なんといってもあの振り。百聞一見、「弾ける」と言う意味を目の前で感じた。SKiを知った当初は、態度のデカさから1期生かと思っていた(笑)。最初に見たビデオが、寿隊の〈謹賀之宴〉だった事もあり、あの一生懸命で、キビキビとしたキレのある「振り」にはかなりの好感を持った。歌唱力では??って感じもあったが、『ペンギン』とか『I,してる』など、“千秋の歌”として確立しているものもある。どちらかと言うと、いわゆる元気系の曲で、躍り隊にとってはこの上ない貴重な人材だった(笑)。あたし自身の中では、“田村千秋”という娘は、 決して高くない推し順だった。推し順は低かったが、評価はしていた。今では、SKi-Pをはじめ 寿隊の隊長も務め、各ユニットでリーダー的存在になっていたことは言うまでもない。

 しかし、それだけではない。SKiの柱でもあったと思う。個々のメンバーが、個々の個性・キャラクターでSKiを支えている。その中で“田村千秋”と言う柱が「大黒柱」かどうか? と訊かれると、回答に悩んでしまう。かといってありふれた1本の柱でもない。「中心ではないが、 限りなく中心に近く、絶妙なバランスを保っている。」といった感じだろうか? 以前「空気のような存在」と聞いたことがある。「目にも見えないし、物理的に存在を感じない。しかし、無いと困る(c)。」 少なくともあたしの中では、こういった位置づけだった。また、2期生の中では「一番辞めないだろう」と言う印象が強かった。
 どのような事情があったのかは、あたしたちの知るところではない。が、突然の 「脱退表明」。いつ頃から辞めることが決まっていたのだろうか? GWの制服宣言ツアーをどんな気持ちで迎え、そしてステージに立ったのだろうか? そして歌った曲が、『さくらうた』。今となっては、笑える歌詞が、全く冗談になってない。「♪ 一推しのあの子 今日は出ていない 頼むから あと1年 残って欲しい 〜」。よく歌ったよ、千秋は。16歳の女の子に、ここまでの試練をあたえていいのか? かなりの憤りを覚えるのですが…。

 2月の卒業式から、やっと新・制服向上委員会も落ちつきはじめ、今回のツアーをステップに、今後のステージが楽しみだったのだが、田村千秋の脱退により事態は振り出しへ。いや、振り出し以前かも知れない。それだけ大きなポジションに居たと思うし、言ってしまえば「たった1人の脱退」であるが、実際SKiとしてもかなりの痛手だと思う。
 いろいろと話を聞いてみると、事務所側と双方同意の下での脱退とは思いにくい。似たような事態は、過去に奥山みか・吉田未来らで引き起こされているらしい。何が問題でこういった事態になったのかはわからないが、少なくとも「もめた」のであれば、他のメンバーに及ぼした影響も、少なくはないはず…。
 今後この業界に残るのかどうか? まだ気持ちの整理がつかず、言葉が出てこないけど、今まで2年4カ月間、お疲れさまでした。またいつか「高速逆回転」を見れる事を期待して。突然の脱退とはいえ、ささやかな卒業式でもしてあげたいと思う。
 ありがとう…、 田村千秋。

[論説委員■まる井]



これから… 昨年の軽井沢ツアーでのこと、1日目のライブで『明日への勇気』が歌われている最中、最前の客が「斜め45度の呪術的なダンス」をやっていた。それをステージの脇で見ていた千秋ちゃんが、 真似しはじめたのだ。驚いた。さらに、翌日の握手会でそのことを言うと、「これですか」といきなり目の前でやりはじめたのである。寿隊の『生きた軌跡は天然化石』では、客の「千秋、逆回転!」に応じたり、《心機一転・4人1組バースディコンサート》に来ていて『感謝のしるし』の「くれくれ」を客席でやっていた。また。ある時はMelodyの『運命'95』を踊ったりと、何かと楽しいメンバーであったことが思い起こされる。
 それだけに、大宮の最後で泣いている姿を見るのはあまりにも辛かった。彼女の明るい笑顔と踊りは、「悲しみ」とは無縁のものだったのだと思う。最後のソロは『蒼い天使の糸』。それを聴きながら、ふと 12月の渋谷・プラネットで歌っていたときのことを思い出していた。振りつけ自体は吉成さんと全く同じにもかかわらず、全然違った印象を与えてくれたのだ。他にも、『少年よ大志を抱け』におけるシャープな踊りとか、うまい三期生と比べても、元気さでは他の誰にも負けなかった。それが、最後に歌った時は、元気かつ“ていねいな”印象を受けたのだ。無意識にも、自分は何かを感じていたのかもしれない。
 これから、私たちの前に再び元気な姿を見せてくれる日は来るのだろうか?いや、きっと来るだろう。あなたならできる。一人でもやっていける。頑張れ!

[論説委員■夢野 雫]



田村千秋 =3代目・型破りメンバーの脱退= 田村千秋がSKiに入ったのは、今から2年4カ月前の1994年1月のことだった。 ちなみに、この時入った他のメンバーは、浅野みゆき,篠原智子,清水えりか,鈴木涼子,水野亜美だった。今回、千秋がやめたことで、この時のメンバーで残っているのは智子だけになってしまった。
 千秋といえば、なんといっても“弾ける”踊りと、満面の笑顔が魅力だった。時として脱線することもあったけど、グループアイドルは、こういう型破りなメンバーがいた方が面白い。個人的には、型破りメンバーの初代が藍田真潮、2代目が吉田未来、そして3代目が千秋だと思っている。今後、彼女たちの後を継ぐようなメンバーは出てくるのだろうか?
 寿隊でも、隊長の望月菜々の『世にも不思議な鶴と亀との物語 鶴・亀・寿』『何故?なぜ?』のような童話的な世界に対して、中隊長の千秋は、『たった一度のSOS! ペンギン物語』『I,してる』『あまえるな』のような、菜々とは全く違うハードな世界を持っていた。これらの曲は、千秋のような型破りで強烈な個性があって、初めて 歌えるナンバーだと思う。菜々と千秋の2つの個性のぶつかり合いが、寿隊の魅力だったともいえるわけで、その 2人とも失ってしまった寿隊は、今後どうなっていくのか、全く見当もつかない。そういえば、結成されてまだ日の浅い、SKi-Pの方もどうするのだろう。

 ところで、今回の《制服宣言ツァー '96》は、千秋にとって最後のSFCになってしまったわけだが、ツァー中に何回か歌った『さくらうた』は、メンバーがやめることを茶化したような歌詞が含まれていたから、わざわざこんな時に歌わせるべき歌ではないと思う。やめることが決まっている千秋にとっては、きっと辛かったのではないかと 思う。
 いずれにしろ、千秋はやめてしまう。“弾ける”踊りも、満面の笑顔も、そしてあの“脱線”も、SFCからは消えてしまう。本当に寂しい限りだ。

[論説委員■本間 寛]



親愛なる田村千秋ちゃんへ 1995年4月23日、日比谷野外大音楽堂で、あなたが2期生委員会のリーダーとして歌った『制服宣言』を大雨に晒されながら(苦笑)ちゃんと聞いていました。{もちろん、Pitシャツは持って無かった(笑)} それから私は、正式に制服向上委員会の1ファンになる事が出来たんですね。これも、田村千秋ちゃんと言う子のお陰じゃないかと、大阪行〈寝台急行・銀河〉の車内で思っていました。それから、自分にとってトレードマークの、Pitシャツ(95年7月から)を着用して、本格的な応援(東京遠征)活動が始まったんですよ…。今は「あぁ、早くメンバーに会いに行きた〜い!」と思いながら、現在に至っています。
 忘れもしない 95年8月27日に、初めて タクシーの出待ちをしました。待っていると、1台のタクシーが目の前に止まりました。見てみると、ナント千秋ちゃんだったんですね。僕は、声は出さずに「お疲れ様でした」と言う意味を込めて、手を振りました。そうすると、千秋ちゃんも振り返してくださって、大変嬉しかったです(ありがとうございました)。そして、忘れたくても忘れることが絶対出来なくなった、1996年5月6日《制服宣言ツアー'96》の大宮公演で起こった、突然の千秋ちゃん卒業宣言。この公演を見ていたファンはもちろんのこと、制服向上委員会のファン全員に衝撃が走った。僕も最初は、自分のことを疑ってかかったのですね。しかし、それはまぎれもない現実だった。いつも大阪へ帰る時の交通手段である〈寝台急行・銀河〉の車内で、「今回はもう正直になろう」と思い、おもいっきり泣きまくりました。そして次の瞬間、自分はこう思ったんです。「千秋ちゃんの最後の勇姿、絶対見てやる!」と…。
 1996年5月11日、奇しくも 僕が制服向上委員会の1ファンになった大舞台、東京・日比谷野外大音楽堂で歌って、踊って、笑顔を見せる、千秋ちゃんの最後の(?)ステ−ジ。ファンの皆さん、是非とも見に行こう! そして、日比谷野外大音楽堂の会場一杯に、“千秋コール”を巻き起こそうではないか!! それが、田村千秋ちゃんへの「ありがとう」という、感謝のしるしになるはずである。

[編集長■Benetton]



編集長から 千秋ちゃんが制服向上委員会に入会したのは、1993年12月のことだった。それから、もう2年半が経とうとしている。千秋ちゃんにとって、この2年半はどんな時間だったのだろうか?
 1996年5月11日を境目にして、千秋ちゃんは、この先いったいどうするのだろうか、芸能界に残るのか? それとも、普通の女子高生に戻ってしまうのか(僕としては、芸能界に残ってほしいんだが)。
 しかし、これだけは言えるのだ。千秋ちゃん、あなたは制服向上委員会[SKi]を脱会と言う形で辞めるべきでは無いのだ! せめて、来年の2月頃まででも在籍して、卒業と言う形で去って欲しかったのです。
 そんな千秋ちゃんが、制服向上委員会からいなくなってしまうと、SKi-Pはいったいどうなるのか? 寿隊は どうなる? 2期生委員会はどうなってしまうのか…。この超強力3ユニットが、宙に浮いてしまうのだ! それだけ千秋ちゃん、あなたは重要な中心の役目だっただけに、非常に残念でならないんだよ!
 《制服宣言ツアー'96》大宮公演にて、千秋ちゃん あなたはいったいどういう思いで、あの言葉を言ったんでしょうか? その日の帰り、僕は帰りの列車の中で、おもいっきり泣いてしまったんですよ。僕を泣かしたのは、もしかしたら千秋ちゃんをはじめとした、SKiメンバーの皆さんの涙が、僕に移ったからだとと思います。
 最後になりましたが、田村千秋ちゃんはとにかく一生懸命でした。僕らを楽しませ、喜ばせ、辛い激痛に耐えたこと{1995年7月9日《寿隊・シロクマ物語》}もあった。そして時には、僕らを感動させてくれたりもしましたね。そんな千秋ちゃんに、この2年半、制服向上委員会での活動お疲れさまでしたと言いたい、そしてこの言葉で締めたいと思います。万感の思いを込めて…。

 田村千秋ちゃん、どうもありがとう!

[(Benettonこと) 柴野 稔]



★ 編集後記 ★

●楽しかったツァーの最後で、こんなことってアリ? “踊る17歳”に気を取られていたのは事実だけど、なんか納得いかないよね…。事務所との意見の食い違いって、よくあることじゃないの? 独裁権力って良くないよね…。そろそろ、ファンの意思表示のときか!?
[まる井]
●この増刊号(号外)は、《制服宣言ツァー '96》大宮公演終了後、[ORANGE IDOL]の村山編集長に頼まれて、作ることが決まりました。時間の無いときに無理を言って、原稿をお寄せ下さったみなさんにお礼を申し上げます。また、この号外についてのご感想・ご意見などございましたら、編集部までお寄せ下さい。
[編集長・Benetton]


こちら新宿3丁目 号外
 初版発行◇1996/ 5/11

  編集長◇Benetton [柴野 稔]
レイアウト◇しゃしょう [池町達也]
  web版発行◇1996/11/ 9
  web版編集◇夢野 雫

表紙写真撮影◇Sさん


KS3トップページ詳細目次掲示板お誕生日メッセージボード

Copyright (c)1996-1998 Kochira Shinjuku 3-chome